時代に翻弄されるエンジニアのブログ

ゲームプログラマをやっています。仕事やゲームや趣味に関してつらつら書きたいと思います。

ゲーム開発 炎上案件物語 深掘り解決編1

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原因は人によって見方が変わる。

プレイヤーは自分が悪いと思っても、実際は監督者の質が悪いこともある。

プライヤーは自分が悪いと思っても、仕組みそのものが悪い場合がある。

なにか問題が起きたときの解決策は根性論になるべきではなく、根性がなくても実行できる仕組みづくりが大切になる。

前回炎上案件の原因を模索したが、今回はそれを少し視点を変えて深ぼっていきたいと思います。

過去の記事を貼っておきます。
tkymx83.hatenablog.com

tkymx83.hatenablog.com

視点を変えてみる。

前回原因と上がったものは以下の三点になります。

第一に仕様が期間内に終わらなかったことだ。
→ 期限が切られていない。

第二は仕様が詰めきれていなかったこと
→ 仕様変更があったときに仕様書に記載されていなかった。

第三は試遊会の段階で方針に変更があったことだ。
→ 方向性レビューが行われていなかった。

これらの原因の視点はプレイヤー側に絞られている。プレイヤーがどのように行うかである。

ここで視点を変えて、戦術策定の段階から深ぼっていきたいと思う。

何をやりたいかと言うと、もっと上の段階や大枠で見たときになにか原因があったのではないか?ということである。

一つ一つの原因に焦点を当てていると、長くなるので一つ一つ分割する。

原因 : 第一に仕様が期間内に終わらなかったことだ。

仕様が期限内に終わらなかったのは、なぜだろうか?

期限が明確にきられていないこともあるが、だからといって仕様書を完成させなければいけないことは担当者もわかっていたと思う。仕様書を決めるときは、戦略をディレクターが企画に伝え、その企画が仕様をまとめ、エンジニアやデザイナーと相談して決定していく。

つまり仕様策定は企画だけではなく、エンジニアやデザイナーが関わっている。にもかかわらず、実装ができない仕様を放置していたのはエンジニアだし、デザイン方針が定まっておらず仕事が来るのをまっていたのはデザイナーである。

まとめると企画以外の役職が仕様策定に対する主体性に問題があったのではないかという話である。

それぞれの役職が主体性を持っていれば、少なくとも遅れの放置はないし、決まらない企画に対してもアイデア提供のような形でアプローチができたのではないかと思われる。そして主体性は根性論ではなく組織形態や組織フローなど自分がどこに責任を持つかによって仕組み的に変わる。

ではなぜ主体性を持つことができなかったのか?

それは、エンジニアやデザイナが作業者になっていたからである。

作業者は決まったものをただ作るだけの存在であり、そこに主体性はない。なくても仕事ができるからである。作業者になるには、仕様をトップダウンでただ任せればいい。「仕様ができたから作ってくれ」という形だ。自分が仕様に関わるような仕組みでなければ作業者が量産されていく。

ではどうすれば主体的になれるのか?モチベーションに関わる部分なので人によって良し悪しはあるが、少なくとも仕様策定に係る仕組みを作る必要がある。

例えば仕様策定の前段階の戦略が決定して作る要件の企画書ができた段階でキックオフを行う。このキックオフは仕様を説明するのではなく、企画の意図を説明する。

  • 戦略の意図は?
  • 誰を対象としているのか?
  • この要件で何を達成したいか?
  • 何を満たすことができればこの要件は達成と言えるのか?

などなどである。目線を仕様策定者と同じに持ってくることで、少なくとも、作業者ではなくなるため、仕様を持つという姿勢はなくなる。そして、仕様を待つのではなく、自ら作ろうとう言う意識になる。

ここまで来てようやく、仕様の締めを決めて、それを追うことが役に立つ。エンジニアやデザイナは作業に対してはプロであり、プロは期限を守る責任がある。自分ごととして仕様書の作成を行うのであれば、企画だけではなく、エンジニアやデザイナもともし仕様を期限内に守ろうという動きになる。

根性論ではないのか?

主体性と言う言葉を話すと、やはり根性論ではないか?という声が聞こえてくる。

しかし、理想的なチームの状況というのはみんなが面白いゲームを作ろうと情熱を燃やして真っ直ぐに進んでいける状態である。情熱の燃やし方は人それぞれかもしれないが、目的を達成しようという主体性を持つことは理想である。

根性論にならず仕組みを作ろうという話をしたが、

仕組みを作って達成したいことはチームの理想に近づくことである。

そのため、主体性を持てない形から、持ちやすい形に変えていくことは立派な解決策であるといえる。

なお、間違えてもみんなで大きな挨拶をしよう!やレッドブルを増やして頑張れる体制を作るなどといった誰かに頑張ってもらうような対策はご法度である。